2011年6月27日

居合道日記 / 秘奥は初太刀にあり

およそ剣術諸流派において、最も大切な業というのは一番最初に習うものだと考えています。
無双直伝英信流ならば正座の部「前」がそれにあたります。

「前」で教わることというのは、どれだけあるでしょう。
座り方、座った時の姿勢、呼吸、目付、左手の掛かり、鞘送り、鯉口の切り方、右手の掛かり、膝・太ももを締め腰を浮かせ……と、抜刀に至るまでに、まだまだ、無数とも言える教えが含まれています。

英信流で定められている形においても、立膝、奥居合にいたるまで、座り方や手の掛け方といった枝葉の部分の違いはあれど、「前」の応用と言ってしまえるものは非常に多くあると思います。

だから「前」の演武を見れば、その人のおおよその力量や理解度もわかってしまうし、逆に私自身の演武を人に見られる時には、いつも以上に背筋の伸びる心持になります。

教える立場からしても、「前」の中にどれだけの教えを込めることができるか、ということはいつも考えていかなければなあ、と思っています。
習う方からしたら、早く次の業を習いたくて仕方ないんですけどね。

教えの根本となる初太刀、おろそかにはしていませんか?

投稿者 utsuho : 00:21 コメント (3) トラックバック (0) | 居合道

2011年5月10日

居合道日記 / たとえば氷山のように

今回はちょっと長文です。
本当は、錬士になる前に書きたかったのだけど、イラストを書けずに、エントリが遅くなりました……。

居合の教えというのは氷山のようなものだなあ、ということをよく考えます。
およそ道場で教えられること、目に見える部分というのはわずかであって、その下には道場では教えられない膨大な教えがあると考えています。
たとえば、業に定められていない状況への対応、流派の体系的な理解、行住坐臥の振舞いのあり方などがあげられます。

イメージにすると、こんな感じでしょうか。

道場での稽古や、大会での演武など、先生や他の人の目に留まる部分というのは、海の上に突き出た部分です。
もちろん、立派な演武(=高い山)を目指すことも重要ですが、上ばかりを高くしようとしても、山自体が沈む、すなわち自分の業を見失うことにつながります。
あの先生がああ言っていたから、この先生がこう言っていたからと、その言葉を鵜呑みにして業を取り入れるのではなく、その業の底に込められた理合、体系をよく理解して、自分の業に反映させるということが必要になります。

また、先生から指摘してもらえることなど、海の上に出ているほんのわずか目に見える部分でしかないという考えからすると、「先人の教えをいささかも改変することなく守ることであり、居合道に守破離はなく守のみである」という考え方も、いささか小さい考え方かと思います。
その考え方では、潜在部分を大きく育てることはできないでしょう。

「業、形より入り、業、形を脱す」という言葉もある通り、最終的には形にとらわれず、いかなる状況にも対応できるようになるのが理想だと思います。
そのためには、道場で教えられない潜在部分をしっかりと形成することが必要でしょう。
また、潜在部分に大きな塊を作っておくことで、小さなことに揺るがない自分の業を持つことになり、自然と氷山が上に浮上する、つまり目に見える業の向上にもつながるでしょう。

私自身はこのようなことを考えて稽古をしていますが、みなさんはいかがお考えでしょうか。

投稿者 utsuho : 00:02 コメント (2) トラックバック (0) | 居合道

2011年5月 5日

居合道日記 / 全日本居合道連盟 全国大会

5月4日、5日と、京都で行なわれた、全日本居合道連盟の全国大会へ行ってきました。
大会と言っても、試合ではなく奉納演武と昇段・称号審査です。

演武と言ったって、普段の練習どおりやればなんてことないのですが、やっぱり緊張していたのでしょうか。終わったあとで「しっかり演武できたかな……」と思い返すも、自分がどんな演武をしたか思い出せない……。

BLOGでお世話になっている「好きです!「居合」と「飛行機」」の三河武士さんや、居合道部の後輩など、なかなか会うことのできない方々と会う機会も持てました。
演武後には、北海道で非常にお世話になった先生ともお話しができてよかったです。

称号審査では、無事に錬士に合格しました。
私にとっては、教えてくれた先生方に報いるひとつの区切りだと思っていたので、素直にうれしいです。
こんな私ですが、ここまで根気強く導いてくださった先生方に感謝です。

とはいえまだまだ道半ば。自分のH.N.に込めた、

 ・「未だ実らず」の心を持って
 ・頭を上げて風当たりをうけることを恐れない

を意識して、これからも修練を積んでいきたいと思います。

投稿者 utsuho : 23:06 コメント (2) トラックバック (0) | 居合道

2011年3月 6日

居合道日記 / 全日本居合道連盟 関東支部大会

入間市の入間市武道館で開催された全日本居合道連盟関東支部の大会へ行ってきました。

今回、残念ながらよい結果は得られませんでした。
調子のピークを持ってこられなかったこともありますが、まだちょっと悔いのある演武になってしまいました。

第35回の記念大会ということで、ご宗家と中部地区の福井先生がいらしていました。
福井先生の演武は、非常に学ぶところが多かったです。

経験をバネにして、もっと稽古をつんでいかないといけないなあ。

投稿者 utsuho : 20:57 コメント (0) トラックバック (0) | 居合道

2011年2月20日

居合道日記 / 演武の業を決める

3月に関東大会、5月に称号審査をひかえているので、そのために行う演武の業を決めました。
なにをやるかは基本的に内緒ですが……、やっぱり「颪」は入れました。
あとは演武では初めてやるあの業とか。

私としては、事前に決めて大会にのぞむよりも、「大会当日に発表」や「くじ引き」なんかで決めるほうが、居合道の教えにかなっているのではないかと思うのですが、そういうことはやらないんですね。

ひさびさに鏡を見ながら稽古をして、ところどころの形の歪みを修正。
稽古時間があまりとれないのが問題だけど、自分の持てる力を出し切れるよう頑張ります。

投稿者 utsuho : 13:36 コメント (0) トラックバック (0) | 居合道

2011年2月14日

居合道日記 / 組太刀考

私の習っている無双直伝英信流では「太刀打の位」として組太刀が伝えられています。
太刀打の位に限った話ではないですが、組太刀を稽古していて思うのは、組太刀で定められた形は唯一無二の動きではなく、あらゆる変化を想定した中での動きの一つにすぎないということです。

たとえば、仕太刀の動きに隙があれば打太刀から打ちこんだり、仕太刀が形とは異なる攻め手を使うということも充分ありうることで、そういう想定の上で行うことで初めて意味のある形稽古となると思っています。
そうした意識をお互いに持った上での組太刀では、「形を間違える」という概念がなくなり、「そこに隙があったから打ちこんだ」「相手の太刀筋を受け切れなかった」という考え方になります。
もちろん、隙のないところに打ち込めば、手痛いしっぺ返しをくらうことになります。

初心の内は定められた形を身体に染み込ませなければならないのですが、そこを出発点として、そこから様々な変化・応用を織り込んでいき、行き着くところは自由稽古の想定を意識下に含んだ中で形稽古を行う、ということになるでしょう。

というのが、私の考える組太刀の理想です。
それでは私自身が相手の変化・応用をどこまで織り込んで稽古できているかというと、少々不安もありますが、それを試してくれる相手がいない……。

投稿者 utsuho : 14:54 コメント (0) トラックバック (0) | 居合道

2011年1月 8日

居合道日記 / 初稽古

今日は居合の初稽古でした。
ひんやりとする道場には、身も引き締まります。

刀法から始まって、正座・立膝・奥居合までをひと通り。
「霞」とか、まだまだ修練が足りてないなぁ……。

今年一年、怪我なく居合を楽しめますように。

投稿者 utsuho : 22:59 コメント (0) トラックバック (0) | 居合道

2010年9月26日

居合道日記 / 無双直伝英信流 関東大会

原宿の神宮前小学校で行なわれた、「無双直伝英信流居合道 関東大会」へ行ってきました。

一昨年、昨年と体調不良や怪我などで出られなかったので、大会に出るのも久々です。

私の出番は午後からなので、午前中は道場の仲間の試合を見ます。
ただ座っているのもなんなので、写真係をしてみたり。

午後に入って、ようやく六段の部も始まります。
結果は、一回戦は勝ったけれど、二回戦で敗退。
それなりに納得のいく演武はできたけれど、相手の方が上手だったということですか……。
うーん、いままでやってきた中で一番悔しいかも。

勝った負けたと騒げるのもあと数年間のことだと思うので、その間は精一杯勝ち負けを楽しんでいきたいですね。
今回やられた相手との再戦を期して、また稽古に励みたいと思います。

投稿者 utsuho : 23:08 コメント (2) トラックバック (0) | 居合道

2010年7月25日

居合道日記 / 合同稽古会

今日は湘南東支部の合同稽古会へ行ってきました。
一緒に稽古することで支部としての教えをすり合わせようという集まりです。

と書いてみて気付いたけれど、湘南東支部には英信流の道場しかなかったのね……。

今回は、奥居合立業を習ってきました。
時間がなかったせいか駆け足での稽古だったけれど、今後の稽古に活かせる収穫が何点かあったのは嬉しい限り。
あとは、奥居合居業も習いたかったな……と。

稽古会の後の飲み会には参加しなかったので、結局他の道場の方と交流はしていないわけですが、こういうのは出たほうがいいのかなあ、うーん。

投稿者 utsuho : 18:24 コメント (0) トラックバック (0) | 居合道

2010年7月12日

居合道日記 / 業から体系を考える(その2)

「最適化」というと現代のコンピュータ用語のようですが、居合道にも「最適化」はあります。
動作の最適化、つまり「無駄な動きをなくす」ということです。

たとえば、刀を振り下ろすとき、膝下よりもさらに下まで斬り下ろした後で所定の位置にもどす、とか。
「月影」で立ち上がる時に右膝を正面よりも右側に開いた後、正面に戻す、とか。

ひとつひとつの動きはコンマ1秒程度の無駄だとしても、ひとつの業で5つの無駄動きをすればコンマ5秒の不利となります。剣術でコンマ5秒といえば、生死を分けるに充分な時間になります。

逆にそういう無駄動きを切り落としていくことで、相手充分の状況を覆すべき自分の利を生みだしているとも言えます。
私の習っている流派でいえば、数百年かけて無駄を削ぎ落としてきたということで、それは個々の業よりも重要な、流派の業すべてに係る「教え」であると思います。

先生から業を習ったときに、ただその動きを真似るだけでなく、「この動きにはどのような意味があるのか?無駄な動きではないのか?」と考えてみることも必要なことだと、私は思います。

投稿者 utsuho : 15:00 コメント (4) トラックバック (0) | 居合道