<< 前の記事
次の記事 >>

2009年8月31日

居合道日記 / 答えに始まり問いに至る

9月から、ようやく稽古を再開できることになりました。
まだ手術跡は輪ゴムで縛られてて引き攣れるのですが、居合はそこまで激しい動きをしないから、なんとかなるかなあ(笑)
私が休んでいる間にも、私の通う道場に新しい練習生が何人か入りましたが、そういう人たちから見たら、「いつもえらそうに見学しているあの人は何者?」といった感じですからねえ。

身体を動かしていない分、またしても、なんとなく上から目線な居合の思考遊びです。

居合の稽古を始める時、最初はまず先生から正しい所作を教わり、その所作をいかに正確にトレースできるか、ということに精力を注ぐことになります。
正しい解として先生の動きというものが与えられ、その通りに動くことができれば、ある程度の段位や成績までは行けると思います。

ですが、そのまま先生の動作をなぞり続けて正確さを上げていくことだけが居合の稽古かというと、決してそういうものではないと思います。
決められた動作ができるようになったら、そこからひとつひとつの動作に込められた意味を意識して理解することが必要になってきます。
これは、業の流れに関してもそうだし、立ち姿や刀への手のかけ方といった細かい所作についても同じことが言えます。

「どうしてこのような動作を行なうか」という問いは、先生が答えてくれるものもあれば、形だけが残って答え自体が失われているものもあります。そうしたものについても、自分なりの答えというものも見つけ出さないといけないと思います。

そこからさらにそういう作業を進めていくと、今度は「最初に先生から与えられた解は、果たして本当に正しいのだろうか?」という迷いにもつながってくるかもしれません。
そのような迷いに対してどう向き合うかは人それぞれだと思いますが、そうして迷えるくらいまで突き詰めて居合をやっていきたいと考えています。

はあ、道はまだまだ遠いです……。

投稿者 utsuho : 2009年8月31日 15:19 | 居合道

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
https://utsuho.mods.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/852

コメント

その通りですね。件について以前から自分も会のブログに書こうかと思ってました。
初めのうちは勿論それでも良いのですが見た目のモノマネやトレースロボットは居合ではありませんね。
ある程度まで行ったら自身の理解力が更に必要になりそれによって稽古すべき点も
人に言われずとも分かってくるはずです。

投稿者 ほそ : 2009年9月 2日 09:20

習得の度合が上がるにつれて、稽古すべき点が変わってくる。
まあ、当然のことなんですけどね。

形から入るけれど、やがて「なぜこの形なのか」という問いに踏み込んでいく勇気は、居合を稽古している人みんなに持ってもらいたいと思っています。

投稿者 空穂 : 2009年9月 2日 11:14

コメントしてください