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2007年4月27日

上橋菜穂子 / 狐笛のかなた

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上橋菜穂子さんの「狐笛のかなた」を読み終わりました。

霊狐を使い魔とする呪術のありかたや、登場人物それぞれの思惑が活き活きと描かれていて、読んでいるうちに自然と引きこまれてしまいました。

特に、使い魔にすぎない野火の悲しさや、自分の生い立ちをはかりかねている小夜の姿などは、読んでいて息苦しくなるほど印象的でした。
舞台は日本ではないけれども、私達の国に息づくファンタジーを見せてくれる作品です。

ただ、あえて言わせてもらいますが、巻末の金原瑞人さんの解説はあまりに稚拙で残念でした。
こんな解説なら、無い方がはるかに良かったなあ……。

「だが、時は流れ、この世の形は変わった。国同士の、食うか食われるかの争いがはじまると、わが一族は、生きるために掟を変えた。
 カミガミの使いであった霊狐を術で縛り、われらの意のままに働かせる使い魔にしたときから、我らは絶大な力を得た。……そして、ゆっくりと滅びはじめたのだろう」
 父の口調は、たんたんとしていた。
「祖先のおろかさを呪ってもしかたがない。いま術を捨てても一族がよみがえるわけではない。術を捨てれば、敵国の呪者に殺されるだけだ。わずかなことによろこびを感じながら、歩きはじめた道を最後まで歩くしかない」
 のちに久那は、隣の春名ノ国で、久那とおなじ祖先をもつ呪者の娘と争ったとき、父の言葉の正しさを知った。その娘は、術を捨て去ったがために、けっきょくは自分の身さえ守れなかった。
 呪者に生まれるというのは、運命なのだ。逆らうよりも、与えられたものを楽しめばよい。
 すべて生き物は、生まれて、死ぬ。それだけなのだから。
(上橋菜穂子「狐笛のかなた」より)

投稿者 utsuho : 2007年4月27日 19:24 | 読書

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